人類補完計画、ゼーレもゲンドウも同じなのか!同じように見えて違うじゃないの!

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よくよく見てみれば、言い方は違えど意味するものは、どうみても一緒に見える。
比べてみるとこんな感じ。

 

 

うゼーレとゲンドウ、言っていることを比べてみれば同じゃないの

 

[ゼーレ]  滅びの宿命
[ゲンドウ] 全てを始まりに戻す

 

[ゼーレ]  新生の喜び
[ゲンドウ] この世界に失われている母へと還る

 

[ゼーレ]  すべての生命が死をもってひとつとなる
[ゲンドウ] 不要な体を捨てて全ての心をひとつに

 

[ゼーレ]  魂の安らぎを得る
[ゲンドウ] 永遠の心の安らぎを得る

 

[ゼーレ]  閉塞した人類を再生するための通過儀式
[ゲンドウ] 新たな世界へと進むステップ

 

違いといえば、ゼーレは原罪からの解放を目指していて、ゲンドウは神と同等になることを目指していたという見方が一般的だ。

 

方法や、そこに至るまでのプロセスはどちらも同じようなプロセスをを踏まなければならない。

 

ではなぜ、ゼーレとゲンドウはお互いにけん制し反目しあうような形になったのか。

 

ゼーレの思想は宗教的思想が根本にあって、”シ”をもって新生し すべてを包括した単一意識を目指した

 

ゼーレは元々宗教団体で、はるか昔からから世界を裏で操っている秘密結社といわれている。

 

そして、使徒の襲来などを予言を記した「裏死海文書」を発見したこで、宗教的観点から、予言書と言われる「裏死海文書」のシナリオ通りに、人類補完計画を進めていく。

 

ゼーレは根本に宗教的思想が根強くあり、その思想は「裏死海文書」に同調するものであったと思われる。

 

そこには普通の人なら誰でも持っているであろう感情はほとんど感じられない。

 

「閉塞した人類を再生するための通過儀式」と言っているように、宗教的儀式をシナリオ通りに淡々と進めることが使命のようになっている。

 

ゼーレのそれぞれが、閉塞した人類を再生するためには、人類補完計画の儀式が必要だと信じていてブレることがない。

 

そこに一個人の意見はなく、そこには宗教的思想が一貫している。ゼーレは{第弐拾壱話・第21話 ネルフ、誕生}で


「我々は、新たな神を作るつもりはないのだ」

「我々に具象化された神は不要なのだよ」

「神を造ってはいかん。」

「ましてあの男に神を手渡すわけにはいかんよ。」


言っていることから考えると、ゲンドウの意思で人類補完計画が実行されると、ゲンドウの思い通りになると考えているふしがある。

 

ゼーレはキールローレンツ以外はモノリスであり、肉体を持たないために実質的行動が出来ず、周りをコントロールして指示することしかできないから、余計に執着するのかもしれないが、ゼーレの人類補完計画ならば、人類の補完ができると信じている。
(ゼーレはTVシリーズではモノリスではなくヒトであった) 

 

ゼーレの人類補完計画は 原罪からの解放だが、すべてを包括した単一意識になることを目指していたと考えられる。

 

すべてを包括した単一意識は 神をも含めたもとだと推測されるので 生命として生まれることはなくても ゼーレの目的「原罪からの解放」という目的は達成できるということだろう。

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ゲンドウは宗教的思想とは無縁で、個人的欲求が根本にあり ”シ”を拒み、生きることを目指した

 

ゲンドウは自分自身の心の闇や救いをユイに求め、ユイと再会することを目的としている。その方法が、ゲンドウにとっては唯一人類補完計画だったといえる。

 

ゲンドウもゼーレと同じで、ゼーレの人類補完計画では自身の目的が達成されないと思っている。

 

それは、自分自身の右手にアダムを移植したことによって得た確信からくるものなのか、元々信じていたからなのか、ゲンドウの心の中を知ることはできないが、ある程度憶測することはできる。

 

ゼーレの言う「閉塞した人類を再生するための通過儀式」


リツコの
「魂の入った入れ物はレイ、一人だけなの。あの娘にしか魂は生まれなかったのよ。ガフ部屋は空っぽになっていたのよ」

 

「ガフの部屋」は ユダヤ教の伝説で、魂の貯蔵庫と言われている。

 

現代のカバラの父といわれているアイザック・ルリアは、エデンの園にある「生命の樹」から魂が生み出され、生み出された魂は「ガフの部屋」に保管されると。

 

「生命の樹」は全ての魂を生み出すと言い、すべての魂が生み出されてしまえば、世界の終焉を意味するということらしい。

 

「ガフ部屋は空っぽになっていたのよ」というのは、新たな魂はもう生まれず、人類の終焉を意味している。これは 世界終わり、人類の終わりを意味していると捉えるととが出来る。

 

結果、使徒が攻めてこようが 攻めてこなかろうが、人類は終焉に向かっていることになるのではないかということになる。

 

「わかっている。人間には、時間がないのだ」
というゲンドウのセリフからも それは伺える。

 

ゼーレ(Air)
「滅びの宿命は 新生の喜びでもある」

「神もヒトもすべての生命が”シ”をもって やがてひとつになる為に」

 

ゲンドウ(Air)
「”シ”は なにも生みませんよ」

「人は、エヴァを生み出す為にその存在があったのです」

「人は、新たな世界へと進むべきなのです。そのためのエヴァシリーズです」

 

ゼーレ(Air)
「我等はヒトの形を捨ててまで エヴァという名の箱舟に乗ることはない」

 

このことからゲンドウは、ヒトの形を捨てて エヴァと同化して生き残ろうとしたのではないか。ゲンドウにとって”シ”は 受け入れられなかった。

 

冬月(Air)
「ヒトは生きていこうとする所にその存在がある。それが、自らエヴァに残った彼女の願いだからな」

 

冬月(まごころを、君に)
「人類の生命の源たるリリスの卵、”黒き月”。今更その殻の中へ還ることは望まぬ」

 

ゲンドウは、すべてを包括できたとしても ”シ”を受け入れたくなかった。また、人類が終焉に向かっているのを知っていて それを何とかしたかったのかもしれない。冬月もそれを理解していた。

 

ゲンドウは ”シ”を受け入れず、人間という形がなくなりエヴァと同化し、たとえ人間とは違う形になったとしても ヒトとして生きたかったのではないか。

 

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人類補完計画、ゼーレとゲンドウの違いは、個々の主観が全く違うからに他ならない

主観とは
物事を認識する働き(を担うもの)。外界に対する自我(が持つ意識内容)。俗に、自分一個の意見。

物事についての個人的認識、感じ方や考え方などによって意識が働くということは、その個人が元々持っている資質や性格によりかなり違ってくると考えられる。簡単に言えば、自分だけが納得できる考えということになる。

 

例えば、コップに水が半分入っているのを見て、半分も入っていると思うか、半分しか入っていないと思うかの違いになる。

 

これを、なぜそう思うかと尋ねられても、明確に説明できる人は少ないと思う。なぜそう思うかと聞かれても、ただそう思ったからということになるだろう。

 

そう思うこと自体、元々持っている自分の中の何かが関係しているはずだが、これを明確に説明することは難しい。

 

ゼーレにもゲンドウにも同じようなことが言えるだろう。こうしたいという欲求や、こうすると決めたことに対して、人は疑うことなくそれが正しいことだと納得してしまったりする。

 

この時点で、個々の感じている真実自体が違うことになる。

 

ゼーレもゲンドウも、自分の目を通して見た世界を真実とし、それに向かって突き進んでいるだけということになる。

 

それにしても、主導権を取った方の主観で結果が変わるとしたら、それはそれで恐ろしいが、人の心の不可解さと不思議さだといえるだろう。

 

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