ゼーレマークの由来を探る(参):星空の上で神が裁く、我等がどう裁いたかを:は捉え方によって意味が真逆になる

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ブロッコリーキャラクタースリーブ ヱヴァンゲリヲン新劇場版 「SEELE」

 

 

“星空の上で神が裁く、我等がどう裁いたかを”の“我等がどう裁いたかを”を考えるとき、相反する真逆の解釈ができる理由(わけ)

 

ゼーレマークに書かれている文字
中央の文字は ZEELE(ゼーレ)その下の文字は


“berm Sternenzelt richtet Gott, wie wir gerichtet.”
“星空の上で神が裁く、我等がどう裁いたかを”

 

一般的には、我々の行いを星空の上で神が見ていて、それは神の目には誤魔化すことはできないのであとでちゃんと裁かれますよ、みたいなことだろう。

 

ただこの世界は3次元で物質世界だ。あなたとわたしは違う人間で決して一つではないと認識できる世界だ。

 

ようするに分離の世界だということ。

 

この分離の世界だということをふまえて“星空の上で神が裁く、我等がどう裁いたかを”解釈しようとすると、一般的な解釈とはまるで反対の解釈ができるということになる。

 

精神と物質―意識と科学的世界像をめぐる考察

 

3次元の分離の世界では、相反するふたつのことが必ずセットになってあるってこと。

 

・表と裏


・善悪


・上と下


・右と左


・マインドと思考


・正しいことと間違っていること

 

相反する二つのことが共存していること自体が「エゴ」の世界と捉えることがでる。なぜなら、感覚や心(マインド)で感じることには善も悪もない。

 

ただ感じるだけだ。ここで勘違いしてほしくないのは、自分自身の感覚や心(マインド)でただ感じることと、感じたことを表に出すのとはまるで別だということ。

 

感覚や心(マインド)で感じるのは、自分ひとりで感じればいいだけだ。たとえば怒りがこみあげてきてどうしようもなくなったら、自分以外の他人にあたるのではなく物にあたればいいだけだ。

 

たとえばお茶碗を叩きつけるとか、新聞をビリビリに破きまくるとかね。これは自分以外の誰かに怒りをぶつけているわけじゃないよね。

 

自分自身で怒りを発散しているだけであって、他人を巻き込んではいないってこと

 

ここでよく勘違いが生ずるのが、怒りはよくないとか、怒っている自分はダメだとか思ったりしてしまうこと。

 

瞬間に「チッ!」とか「ムカッ」としちゃうのに、良いも悪いもない、ということ。考える間もなく「チッ!」とか「ムカッ」とかしちゃうのが、感覚や心(マインド)で感じるということだ。

 

だいたい分離の二元性の世界に生きているんだから、善も悪も両方持ってるし、どちらかひとつにしようとすることに無理がある。

 

良いとか悪いとか思ってしまうこと自体、それは感覚や心(マインド)で感じているのではなく頭や思考で感じていると思っているだけだろう、ということ。思考はエゴを使い心で感じていると思わせるのが得意だ。

 

これをふまえてまず、分離の世界ゆえに善も悪も同時に存在すると捉えると一般的な意味とは違ってくる。善も悪も同時に存在すると捉えるとき、これを思考に当てはめると無理がある。

 

思考では善悪を同時には考えられないだろうから。思考というより、意識といった方がしっくりくるかもしれない。思考自体が意識で考えるものだからね。

 

意識では良いことと悪いことを同時には考えられない。同時に考えているように見えても、その二つを全く同時に重なり合って考えることはできない。

 

そこで 心(マインド)に当てはめてみると分かりやすい。可愛さ余って憎さ百倍って言葉があるけど、これは可愛いという気持ちと憎いという気持ちが同時に存在している。

 

心(マインド)は、思考ではなく感覚を感じる場所だ。感覚を感じる場所では 善悪は存在しない。善悪を考える前に、瞬時に感じてしまうものだから。

 

たとえば街を歩いていて 急に見知らぬ人がぶつかってきて倒されてしまったら「なんだよ、チッ!」って思ったりする。

 

その瞬間に ぶつかってきたあんたが悪いとは考えていない。瞬間にチッ!ってなるのが 心(マインド)で感じる感情というものだ。

 

ぶつかってきたあんたが悪いと思うのは 心(マインド)で感情で感じた後にやってくる。これが思考だ。

 

“berm Sternenzelt richtet Gott, wie wir gerichtet.”
“星空の上で神が裁く、“我等がどう裁いたかを”


一般的な解釈は、天にいる神が“我等がどう裁いたかを”見ていてあとでちゃんと裁きますよってことだろう。

 

“我等がどう裁いたか”ってのは、我等が個人の行い全般や自分自身と他人に対してどんなジャッジをしたかっていうことだろう。

 


ただここでいう「神」は「神」の定義自体が人によって異なるので、「神」についてはそれぞれが考える「神」ということで。ただ裁きは、自分以外によって行われるということ

 

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表裏一体の3次元では、自分と自分以外というセットになるが、これを当てはめると、裁きは自分以外が行うのではなく自分自身で自分を裁くことになってしまう。

 

そんな解釈あり?!とも思うが、相反するふたつのことがセットになっている3次元分離の世界に当てはめてみると、自分か自分以外かということになる。

 

“我等がどう裁いたかを”は一般的な解釈とは真逆になり、自分が自分自身や他人に対してどのようにジャッジしたか、あなたがジャッジしたのと同じように裁きますよってことになる。

 

ようするに裁きは自分以外がするのではなく、自分自身で自分を裁くことになってしまう。

 

恐るべし分離の世界。自分で自分を裁くことになるとは・・・


エヴァンゲリオンのゼーレもゲンドウも、さすがにここまでは考えちゃいないと思うけど。 

 

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