ゼーレが目指した人類補完計画、原罪からの解放を分かりやすく例えてみた

ゼーレは3次元の分離の世界から統合を目指した

 

ゼーレは元々宗教団体っだったことから,その宗教的理念に基づき不完全な人類を完全なるものへとするため人類の原点回帰をもくろむことになる。それは予言書と言われる裏死海文書の記述通りにシナリオを進めることだった。ゼーレが望む人類の原点回帰とは、原罪からの解放にほかならない。

 

原罪とは、人類は不完全で生まれながらにして罪があるという考え方

 

聖書で罪の本質は 何が善で何が悪であるかは自分で決めるという態度は、自らを神とすることで「神への反抗」ということになるようだ。つまり最初の人類、アダムとイブの子孫はすべて同じ罪を持つことになる。ゼーレはこの罪自体を払拭しようと人類補完計画を進める。

 

ただここで大事なことは、肉体を持った人間は、あなたとわたしは違う人間だと認識できる3次元の世界に生きているということ。ようは分離の世界に生きていることになる。

 

分離の世界では 
・表と裏
・上と下
・右と左
・善と悪
・マインドと思考
・正しいことと間違っていることetc
分離の世界では、必ず相反する二つのことが、コインの裏表のように共存している。

 

ゼーレの目指した原罪からの解放は、「罪」とされるヒトの「悪」の部分を無くそうとしたことだろう。分離の世界に生きている限り、善悪のどちらか一方だけを無くすことはできない。無くすことができたら、それはもう3次元の分離の世界ではなくなってしまうだろう。

原罪論 (ジョナサン・エドワーズ選集 3)

 

原罪からの解放をコインに例えてみた

 

コインの表が善、裏が悪、と考えたとき、悪は良くないから無くしましょうと、 いくらコインの裏を削ったところで裏が無くなることはない。そりゃあ削ればコインの模様は無くなるかもしれないけど、模様が無くなったところでコインの裏は存在する。さらに頑張って削っていけば、最終的には全部削られてコインの形は無くなる。コインの形が無くなってしまえばもうそれはコインという物質ではなく、別のものになってしまう

 

人も同じで、自分の闇や悪の部分をいくら無くそうとして、頑張って頑張ってコインの裏を削るようにいくら削ったとしても、表面の模様が無くなったように見えるだけで、実際は無くなることはない。だって分離の二元性、物質世界なんだから。もし無くなってしまうのら、その時はもう物質世界にはいないだろう。人じゃなくなる。まさにサードインパクトってことになる。

 

ぁあ~ でもここがミソなんだよね、きっと。頭や思考で感じた気分になっていれば、自動的に善悪のジャッジをするようになる。なぜ自動的に善悪のジャッジをするようになるって?そりゃあ、二元性の分離の世界にはエゴが存在するからだよ。エゴはジャッジして他者と比べることで、やっと存在意義を得ることができるから。エゴは オンリーワンを嫌い 善悪のジャッジをして自分にダメ出しをする。さらになんとかしようと闇や悪の部分を削り取ろうとする。このサイクルが延々と続く悪循環だ。

 

感覚や心(マインド)がいくら感じたところで、感覚や心(マインド)は何を感じようが感じること自体に良いも悪いもないことを知っているから、ジャッジはしない。感覚や心(マインド)で感情を感じていたら、ジャッジなんかしてるヒマはなくただ感じてしまう。しかしエゴは巧妙だから、いかにも頭や思考で感じていることを、感覚や心で感じたと思わせる。これは分離の二元性の象徴だ。まさに表と裏だね。コインの裏表と同じだ。

 

こうなると、もともこもないような感じになっちゃうけど、逆の目線で見れば、コア(魂)は元々感覚や心(マインド)を知っているからこそ感覚や心(マインド)を忘れ去り、完全にシャットアウトして、3次元の物質世界、分離の二元性を体験したかったのかもしれない、と捉えることもできる。こう考えると、エゴが頑張って意識の頭と思考を騙してくれないと3次元の物質世界、分離の二元性が体験できなくなってしまう。

 

まぁどのみち考え方も捉え方も、真実が何か?と思うことも人によって違うわけで、何が正しくて何が間違っているとかも人それぞれで、そう考えると真実は人の数だけあることになる。人それぞれ、その人個人の世界観の中で生きているってことになる。それがコア(魂)の意志なのか、エゴに騙されてしまったものなのか、エゴに騙されていたとしても、それ自体が分離の二元性を体験するためのコア(魂)の意志なのかもしれない。 

生きやすさを手に入れるための 波動とエゴの法則を書いた本