- ネルフマークに書かれている「神は天に在り、世は全てこともなし」
- で、なんでネルフマークの下の文字が「神は天に在り、世は全てこともなし。」なのか・・。
- 「神は天に在り」の「神」の定義自体が、人によって違う
ネルフマークに書かれている「神は天に在り、世は全てこともなし」
「神は天に在り、世は全てこともなし」
哲学って感じの言葉だけど、これはネルフマークの下に書いてある言葉。
NERV→ドイツ語で「神経」
NERVマークの葉っぱの下に書いてある英文は
「GOD’S IN HIS HEAVEN.ALL’S RIGHT WITH THE WORLD」
「神は天に在り、世は全てこともなし」
ロバート・ブラウニングの「春の朝」という詩の一節
『赤毛のアン』のラストでは「神は天にいまし すべて世は事もなし」という訳だったと思う。(19世紀 詩人 ロバート・ブラウニングの「PIPPA PASSES」の一節)
「春の朝」 ロバート・ブラウニング(海潮音 上田敏)
時は春、日は朝、朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
NERVマークの葉っぱは、
聖書のアダムとイブ(エヴァ)がつけているイチヂクの葉。
NERV→「神経」・ゼーレ→「魂。霊魂。精神。」・
ネルフ以前のゲヒルン→「脳」
ゲヒルンはドイツ語で「Gehirn」これを英訳すると「brain」「mind」「cerebric」etc
「brain」→脳、大脳、頭脳、知力
「mind」→〔思考・感情・記憶などをつかさどる〕心、精神、〔感情ではない〕知性、判断力
「cerebric」→脳の[に関する・から生じる]なにか哲学的なにおいが強い。
書道色紙/ロバート・ブラウニングの名言『人を許すはよし、忘れることはさらによし』/濃茶額付/受注後直筆(千言堂)
で、なんでネルフマークの下の文字が「神は天に在り、世は全てこともなし。」なのか・・。
いろんな解釈の仕方があると思うけど、一般的な解釈は、「人間の世界では色々と不幸があるようだが、天の視点から見ればそれは大したことではない。
人がどんなに喜怒哀楽のるつぼに身をすりつぶされていようと、空を始め自然はそんなことには頓着せず悠々と広がっているではないか。」てな感じらしい。
他にには
「この世のことは全て神の摂理のもとにある、神のお導きのままに」
「神が天にいらっしゃっり、世の中には何の事件も起こらない」
「大きな事件や天災もなく平穏無事に過ぎている有様」etc
「神は天に在り」の「神」の定義自体が、人によって違う
「神」って言葉が出てきちゃうと、???となる。一概に「神」っていっても、宗教によっても違ってくるだろうし、歴史や文化によっても捉え方は違う。
「神」の定義は人によって違う。宗教なら、イエスキリストとかアラーとがヤハウェとかになるんだろうけど、呼び方が違うだけで、どうも同じ「神」のことを言っているらしいし。あぁ、だけど異宗教どうしでは認めている部分と認めてない部分があるみたいだしね。
どうも、旧約聖書の創世記が元になってるみたいだけど、宗教に関してはれぞれそに教義も違うだろうし、詳しくないからよく分からない。
あと、仏教もあるし、自然神とかもあるし。日本なら古事記で黄泉の国、イザナギとイザナミの話しとか。
神(Wikipedia) イザナミ(Wikipedia) イザナミ(Wikipedia)
古事記(Wikipedia) 黄泉(Wikipedia)
それともうひとつは、ここのところ流行してるスピリチュアルってやつ。簡単に言っちゃえば 「霊的」ってことだと思うけど、これも捉え方がいろいろすぎる。
魂、霊魂、前世、守護霊、波動、オーラ、チャクラ、光、ワンネス、はたまた魂の浄化、スピリチュアルヒーリング、チャネリング、愛を学ぶ、etc
魂、霊魂、前世、守護霊、この辺は 日本人なら馴染みがあるしよく聞く言葉だと思う。波動ってのは、波動が高いとか低いとかってよく聞くけど、何をもって高いのか、低いのかってのがいまいちよくわからない。
波動が低いより高い方がいいとか、波動を上げた方がいいとか、科学的根拠はないんだろうから、何を基準にジャッジしてるのかわからない。
自分自身が波動が高いと思っていれば、高いってことになるのかもしれないが、誰もが納得できる基準がなければ、それはあくまでも個人の感じ方でしかないんだろう。まあ、本人がそれで満足ならいいと思うけど。
オーラって言葉も比較的聞いたことがある人は多いと思う。オーラのキルリアン写真は一時話題になっていたこともある。
あと、チャクラって言葉も聞いたことある人は多いと思う。チャクラは東洋医学でいうところの主要なツボのこと。
そう考えると、針とかお灸とかは歴史があるから なんとなく分かる気がする。正確には 経穴っていうのかもしれないけど、詳しくないのであしからず。
オーラ(Wikipedia) チャクラ(Wikipedia) ツボ(Wikipedia)
経穴(Wikipedia)
あと、個人的にクセモノと思うのが「光」ってヤツ。太陽の光のことなのか、光の粒子のことなのか、ただ明るいことなのか、定義がいまひとつハッキリしない。
光に帰る、波動が上がると光になる、とか聞くけど、光の粒子になるってことなのか、波動が上がると本当に光になっちゃうのか、それを科学的に証明できるのかもわからない。
それと、光になって神に帰る、とか聞いちゃうと新興宗教だよって言ってくれた方が納得できる。
魂の浄化ってのもよくわからない。魂の浄化っていうくらいだから、浄化しなくちゃ魂は汚い、ってことなのか。
スピリチュアルヒーリングってのも、魂の浄化みたいなものだと思うけど、肉体の目で確認できないからこれもまた、よくわからない。
自分自身が浄化されたと思えれば、浄化されたことになっちゃうの?、と思ってしまうけど、確認のとりようがないいんで結局は不明。
そして、チャネリング。恐山のイタコみたいなものか、イタコよりイメージはスマートな感じだが、イタコ自体実際に見たことないし。または、沖縄のユタみたいなものなのか。これも実際には見たことはない。
チャネリングで有名なエドガー・ケイシーは知ってるけど。チャネリングできます、と言ってる人が、全てエドガー・ケイシーのようなことが出来るとは、到底思えない。だいたい本当に能力のある人は、自分からセールスしないと思うけど。
イタコにしてもユタにしても、口コミがほとんどで自分自身でセールスしてる人は知らない。まあ、エドガー・ケイシーは実在の人物だし、記録も豊富だから信憑性がある。
特殊能力といっちゃえばそれまでだけど、人間自体にそこまでの能力差があるのかも疑問。神様が決めたと言われれば、はぁそうですか。ってなるけど、個人的には、人間自体に能力差があるわけではなく、その回路が開いているかどうかの差ななのではないか、と思ったりもする。
だって人間の脳って、10%しか使ってないとか、1%しか使ってないとか言われているしね。
全部使えたら何でもできるのかもしれないが、何も証明するものがない。
まして魂があるとして、魂に関しては何も証明するものがない。
通常の意識化では認識できない体験をしている人の体験談や記録だけだ。
イタコ(Wikipedia) ユタ(Wikipedia)
エドガー・ケイシー(Wikipedia) チャネリング(Wikipedia)
あと、愛を学ぶ、ってヤツね。愛を学んで魂のレベルを上げましょうって・・・?になってしまう愛ってどうやって学ぶのかよくわからない?
道徳観みたいなものなのか?人に優しくしましょう、とか 人の為に尽くしましょうとか、ってことなのか? これまた、よくわからない。
自分自身に優しく出来ないヤツが、なんで人に対して優しくできるのかわからないし、自分のために尽くせないヤツがなんで人に尽くせるのかよくわからない。
だいたい、愛ってもんは 学ぶんじゃなく感じるもんだと思うけど、人によっては、愛は学ぶものになるらしい。
学ぶってこと自体、勉強みたいなことなのか?そう考えると、たくさん勉強していい成績をとったヤツは偏差値の高い学校へ行く、みたいに 愛を勉強すれば波動が上がるとか、魂のレベルが上がるとか、光に近づくとかになるのか?
勉強することを否定するつもりはないけど、勉強するのと、感じることは根本的に違うんでないの?と思うけど。
これら全てをひっくるめて スピリチュアルって言ってるんだろうけど、これまた科学的根拠はないわけだから、信じるか信じないかはあなた次第ってことになる。
まあ、どのみち何が正解かなんてわからないし、個人の自由だから人それぞれってことになるんだろう。
ただ「ワンネス」ってのは、ユング心理学でいう 集合的無意識(普遍的無意識)が近いと思う。「ワンネス」とは この宇宙は唯ひとつである、という考え方だ。集合的無意識に近いんだと思う。
宗教は教義があるから、それを信じてそれに従うってことだって認識あるけど、スピリチュアルってのは、どうも教義みたいなものはないみたいだし、ヒーリングとか浄化をして、魂のレベルを上げる。
愛を学ぶ。とか言われちゃうと・・・???となってしまう。
「魂」自体証明できるものは今のところない。
そして魂のレベル?魂にレベルがあるのか???よくわからない。
魂にレベルがあるとしたら「神」は人にレベルをつけて創ったのか?
「神」ってそんなちっちぇことにこだわんのか?だいたい、「神」が人を創ったってことさえ証明できてない。
また進化論でいえば、猿から進化して人になったのなら、猿だった時から魂のレベルみたいなものがあったのか?だとしたら、すべての動物にレベルがあるのか???。ますます訳がわからなくなる。
ネルフマークの下に書かれている喪に「神は天に在り、世は全てこともなし」の「神」は、どのような意図があったのかはわからないが、ゲンドウは、この「神」になりたかったのか、もっと別の神になりたかったのか、正解はわからない。