ネルフマークの由来を探る(伍)神は天にあり、世は全てこともなしの:世:を:時間:と捉えた時に


別冊 時間とは何か 改訂第3版 (ニュートン別冊)


 

「神は天に在り、世は全てこともなし」の「世」を「時間」と捉えたとき、解釈はひとつとは限らない


ネルフマークの下に書いてある言葉。
NERVマークの葉っぱの下に書いてある英文は

「GOD’S IN HIS HEAVEN.ALL’S RIGHT WITH THE WORLD」

 
「神は天に在り、世は全てこともなし」


詳細は 

 

 

 

 

 



一般的な解釈は

「人間の世界では色々と不幸があるようだが、天の視点から見ればそれは大したことではない。人がどんなに喜怒哀楽のるつぼに身をすりつぶされていようと、空を始め自然はそんなことには頓着せず悠々と広がっているではないか。」


前回の、
ネルフマークの由来を探る【四】”神は天にあり、世は全てこともなし”の「世」とは?

「世は全てこともなし」の「世」を時間として考えてみた場合の続き。
「全て」→「すべて」
・ 全部合わせて、まとめて
・ 総じて、だいたい
・ 〔下に打消の語を伴って〕全く、いっさい(学研全訳古語辞典)


「こともなし」→「事も無し」
・ 何事もない、平穏無事だ
・ 難点がない、ちょっと好ましい
・ (事をするのに)たやすい(学研全訳古語辞典)


「世は全てこともなし」を考えてみるとき、
「世」を時間として解釈した場合、
「世は全てこともなし」

「時間は全てこともなし」

「時間は何事もない」という解釈もできる。

驚くことに、何もないってことになってしまう。エヴァでいうところの【カリソメ】か。「集結の園へ」の歌詞。行きつく先は ただの「カリソメ」ということか。う~ん、意味深過ぎるか・・・。


物理学の観点からは、過去・現在・未来は同時に存在する。って日経サイエンスにもある。ちょっと見たところ、時間は一方通行の道路のようで、非常に単純なものに思える。

 

スクランブルエッグは元の卵に戻らないし、目尻の小じわは消えず(美容整形でもしない限りは)、祖父母が自分より若くなることもない。だが、宇宙の基本法則は時間的に対称なようだ。

 

つまり、時間の方向に影響されない。


「時間の本質を探る時が来た」(日経サイエンスより)


ふとここで疑問が生じる。時間は、時間軸を作ることによって 初めて存在し始めるもので、時間軸と空間軸を作ることにより、変化の幅を計る。この軸上の変化の幅が、時間と空間らしい。ってことだった。と・・・すると、空間も関係してくることになる。

 

空間がなければ時間も存在しないとは、エヴァでいうところの「カリソメ」か!?


どうも、時空=空間と時間=宇宙←こうなるらしい。


ということは、空間が無ければ時間も存在しないってことになるみたいだ。


ビッグバン以前は、時間も空間も存在していないというのが通説みたいだ。


マジかっ!時間も空間も存在していない・・・。じゃ、なんで宇宙ができたんだ???

 

なにがしかがあったから、ビックバンがおきて宇宙が誕生したんじゃないのか!?


なにもないところから、なにかが生まれるってありえんのか・・・。ここまでくると、哲学にもほどがある。


・「なぜ宇宙があるのか?(Why is there a universe?)」


・「なぜ世界があるのか?(Why is there a world?)」


・「なぜ無ではないのか?(Why not nothing?)」なぜ何もないのではなく、何かがあるのか(Wikipedia)

物事の根拠を「なぜ」と繰り返し問い続けることでやがて現れる問いであることから
「究極のなぜの問い(The Ultimate Why Question)」またはより簡潔に「究極の問い」とも呼ばれる[1]。解答することが著しく困難であることから「存在の謎」(The riddle of existence)とも言われる[2]。存在に関する問いであることから「存在への問い(The question of being)」とも言う。

 

哲学者たちはこの問いを、あらゆる問いの中でもっとも根源的な問い・第一の問いであるとしばしば言う。

 

同時に混乱を呼ぶ悪名高き問い、解答不可能な奇問、愚かな問い、また問うことが危険な問いである[3][4]、などとも言われる。


宗教でも、物理学でも、哲学でも、答えの出ない究極の問いらしい。
ある意味おバカな問いってことだ。

 

「世は全てこともなし」は、解釈によっては「何もない」ってことになってしまう。まさに「カリソメ」


「世は全てこともなし」を考えてみるとき、「時間は何事もない」って解釈してみるのも面白い。言葉の裏にある意味が深すぎる~。

 

時間も空間もないんだよ!な~んにもないって!どゆこと・・・???理屈では理解不能。感覚で感じ取ることが出来るなら不可能ではないかもしれないが・・・


「世は全てこともなし」ってのは、宇宙ができる前のことなのか?
それとも、本当になにもないのか?何もないのなら、ぼくらはなんだ・・・?


ここまでくると、知識や思考で答えを求めてもダメなんだろう。


この先、物理学とか哲学とか、数学とか新しい学問で、答えが導き出せるときがくるのかもしれないけど。


過去・現在・未来は同時に存在する、ってことだけでも頭で理解するのは至難の業なのに、その先の時間も空間も何もない、なんてことはもっと理解できないだろ。

 

もしかしたら、感覚で何かを感じ取るしかないのかも・・・とか思ったりする。突然何かが閃いて、腑に落ちる、みたいなことがあれば ひょっとしたら何か分かるのかもしれない。


腑に落ちる、というのが古事ことわざ辞典でみつからなかったので

 

【腑に落ちない】の意味。


【意味】 腑に落ちないとは、納得がいかないこと。


【腑に落ちないの解説】

【注釈】 「腑」とは、内臓のこと。転じて、心を意味する。
「腑に落ちない」で、納得いかない・合点がいかない状態をいう。
一般的には「落ちない」「落ちかねる」など否定的な表現で使うが、「腑に落ちる」が「納得がいく」の意味でも使われている。
「納得すること」は、「腹に落ちる」ともいう。(古事ことわざ辞典より)


【腑】とは、心を意味するのであれば、心で感じて納得するってこと。知識として頭で理解するんじゃなくて、心で納得するってことになる。

 

もし、腑に落ちるようなことがあって、心が納得できたとしても、それはあくまでも個人の感じ方で他の人に説明するのはきっと不可能なんだろう。人の感じ方や感覚は、本当に千差万別だから。


「世は全てこともなし」→なにもない、ってことに何か気付いた人がいたとしても、感覚で感じたことを言葉で説明するのは きっと至難のワザだろう。この秘密が解き明かされることはあるのか・・・。きっと、誰にも分からないのかもしれない。


分からないから、自分とは何者か?と、考えたりするのかもしれない。


そういや、【自分】というのは自ら分ける、と書いて自分と読む。自分とは、神が「自」らを「分」けた、という説もあるらしい。


なんか意味深・・・やっぱ、てっつがくぅ←(アスカ風)。


「世は全てこともなし」→【何もない】ってことは、日本人なら聞いたことがある言葉、【色即是空】にもなにやら共通するものがあるような気がする。

 

なぜ時間は存在しないのか