シンジの承認欲求と、ゲンドウの意外な一面

 

エヴァンゲリヲン新劇場版:序より


序の冒頭シーン 

 

 

求めずにはいられないシンジの無意識


リツコ 
「碇シンジ君、あなたに見せたいものがあるの」

シンジ  
「あっ・・・」

リツコ  
「人の創り出したもの究極の人型汎用決戦兵器、人造人間エヴァンゲリヲンその初号機、我々人類の最後の切り札よ」

シンジ  
「これも父の仕事ですか」

ゲンドウ 
「そうだ、久しぶりだな」

ゲンドウ 
「出撃」

ミサト  
「出撃! 零号機は凍結中でしょ・・・まさか!初号機を使うつもりなの?」

リツコ 
「他に道はないわ。碇シンジ君、あなたが乗るのよ。」

シンジ  
「・・・・・父さん、なぜ呼んだの?」

ゲンドウ 
「お前の考えている通りだ」

シンジ  
「じゃあボクがコレに乗って、さっきのと戦えっていうの?」

ゲンドウ 
「そうだ」

シンジ  
「やだよ!そんなの! 何を今更なんだよ!父さんは、ボクが要らないんじゃなかったの?」

ゲンドウ 
「必要だから呼んだまでだ。」

シンジ  
「はぁ・・・なぜボクなんだ・・・」

ゲンドウ 
「他の人間には無理だからなぁ」

シンジ  
「無理だよ、そんなの・・・見たことも聞いたこともないのにできる訳ないよ!」

ゲンドウ 
「説明を受けろ」

シンジ  
「そんな・・・できっこないよ・・・こんなの乗れるわけないよ!」

ゲンドウ 
「乗るなら早くしろ、でなければ帰れ!」
そんな会話の中 使途は容赦なくやってくる。

ゲンドウ 
「ヤツめ、ここに気付いたか」

リツコ  
「シンジ君、時間がないの」

ミサト  
「乗りなさい」

シンジ  
「やだよ、せっかく来たのにこんなのないよ!」

ミサト  
「シンジ君、何のためにここに来たの?」
そりゃシンジはミサトから逃げるように顔をそらすよ。

ミサト  
「駄目よ逃げちゃ、お父さんから。何よりも自分から」

シンジ  
「分かってるよ!でも できる訳ないよ!」

 

シンジはゲンドウに呼ばれてネルフに行く。
シンジは ゲンドウに捨てられたと思っているのに、父親からの呼び出しに応じたのは、心のどこかで淡い期待があるからに他ならない。

 

心の底から捨てられたと思っていて、父親に対して期待もしていなかったら、
呼び出されたからといって父親に会いに行くこともないだろう。

 

期待するだけ裏切られたときに自分が傷付く、ってことは経験済みなんだから。どうせ捨てられたんだからと、突っぱねることも出来るのに、シンジはそうしなかった。シンジの無意識は やはりどこかで父親を求めている。

 

「・・・・・父さん、なぜ呼んだの?」

「お前の考えている通りだ」

「じゃあボクがコレに乗って、さっきのと戦えっていうの?」

「そうだ」

「やだよ!そんなの! 何を今更なんだよ!父さんは、ボクが要らないんじゃなかったの?」

「必要だから呼んだまでだ。」

「はぁ・・・なぜボクなんだ・・・」

「他の人間には無理だからなぁ」

「無理だよ、そんなの・・・見たことも聞いたこともないのにできる訳ないよ!」

「説明を受けろ」

 

人には「誰かに必要とされたい」という承認欲求がある。
父親に呼ばれたということは、今までいくら冷たくされていたとしても、シンジにとっては必要とされていると感じただろうし、ひょっとしたら認めてもらえるかもしれないという淡い期待もあっただろう。

 

それが使徒と戦うためだとは、シンジにとっては衝撃的すぎる。他の人には無理でなぜ自分なのか意味も分からないし、冗談じゃないと思うのは当然だろう。

 

子どもは生まれてから 誰かにお世話してもらわなくちゃ生きていけない。おっぱいをもらわなきゃお腹もいっぱいにならないし、オムツも替えてもらわなくちゃならないし、話すことだって出来ないから、訴えたいことがあれば泣くことでしか表現できないわけで、当然ひとりで生きていくことはできない。


親との関わりの中で お腹がすいたときは泣けばおっぱいがもらえる。オムツが濡れて気持ち悪いときも 泣けばきれいなオムツに替えてもらえる。他の人がみれば同じような泣き方にみえても、母親は何で泣いているのか分かったりする。泣くことでコミュニケーションをとって、お腹も満たされ、冷たかったおしりも気持ちよくしてもらい安心を得る。

 

シンジの場合、ユイには可愛がってもらっていても、ユイは事故で死んでしまった。今まで安心を貰っていた人が、急に自分の世界からいなくなってしまえば、子どもにとっては不安で不安でどうしようのないから、他に安心できるものを探す。

 

次に安心を得ようとするなら、それを父親に求めるのが普通だろうけど、ゲンドウはシンジを預けて行ってしまったから、子どもは捨てられたと思ってしまう。

 

ゲンドウにしても、シンジに対して子煩悩なんてことはあるはずもなく、逆にシンジにユイを取られた、と思ってるふしがある。子どもは敏感だから、いろいろ考えなくても、ゲンドウのことは肌で感じ取っていたんだろうと思う。

 

もしゲンドウがシンジを無条件で受け入れたことがあれば、シンジは捨てられたとは思わなかったろう。子どもにとって一度でも受け入れてもらえた、という経験があればたとえ同じような状況になっても、お父さんはきっと迎えに来てくれるはず、と思うだろう。

 

子どもにとっては 親から否定されるのは耐えられないことだから、無意識のどこかでまた受け入れてもらえるんじゃないかと期待してしまう。シンジもゲンドウに捨てられたと思ってるけど、心のどこかでそれを認めたくない。

 

親に否定されたら 他の誰が受け入れてくれるのか、14歳の少年にとっては考えられないだろうし、自分は誰にも必要とされないって思っても仕方がない。それだけ子どものころの体験の影響は大きいが、やはり無意識の承認欲求はなくならない。

 

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意外と着目されないゲンドウの一面

 

目的のためなら手段を選ばないように見えるゲンドウだが、
「乗るなら早くしろ、でなければ帰れ!」と言っている。


このセリフは、使いものにならないならいらない、とも受け取れるがシンジに対して強制はしていない。手段を選ばなければ、シンジに対して「乗れ!」と言うことも出来るのに、命令はしていない。


ああしろ! こうしろ!という命令ははシンジに対しては言っていない。

 

ゲンドウはシンジに対して強制することはなく シンジの決断に任せている。どこかに自分の子供だからという思いがあるのかもしれないが、リツコや冬月先生に対しても強制しているようには見えない。

 

リツコにしても冬月先生にしても 自らゲンドウのもとに身を置いている。ゲンドウはいかにも冷たそうに見えるけど、他人をコントロールしていないということがわかる。

 

シンジにとっては、ここで「乗れ!」と強制されれば、父親に認められたと思えて承認欲求が満たされたかもしれないが、人の心はいろいろな側面があるから断言できるものはない。

  

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