シンジに対して否定も肯定もしない加持リョウジは、シンジをありのままに受け入れる


エヴァンゲリヲン新劇場版:破より


スイカ畑のシーン

加持がシンジに缶コーヒーをおごって「デートしよう」と誘いスイカ畑で畑作業をしながらの、シンジと加持の会話。

 

 

実は癒しを求めていた加持リョウジの意外な一面

 

 シンジ  
「土のかおり・・・」

加持   
「もうへばったのか、給料分は 働いてもらうよ」

シンジ  
「給料って・・・さっきの缶コーヒー?あっ、デートって言ってたのに 加持さんてもっとマジメな人だと思ってました」

加持   
「大人はずるいくらいが ちょうどいいんだ」

シンジ  
「これ確か、スイカですよね」

加持   
「ああ、かわいいだろ、オレの趣味さ。何かを作る、何かを育てるってのはいいぞ。いろんなことが見えるしわかってくる。楽しいこととかなぁ」

シンジ  
「つらいこともでしょ」

加持   
「つらいのはキライか?」

シンジ  
「スキじゃないです」

加持   
「楽しいことをみつけたかい?」

シンジ  
「・・・・・」

加持   
「それもいいさ。けど ツライことを知ってる人間の方がそれだけ優しくできる。それは弱さとは違うからな。葛城は好きかい?」

シンジ  
「あっ・・・あっ・・・ミサトさん・・・いや・・あの・・ キライじゃないです」

加持  
「葛城を守ってくれ。それはオレには出来ない。キミにしか出来ないことだ、頼む」

 

シンジに対して「デート」と言って誘う加持はユニークなところがある。

 

そして給料分働いてもらうとは、大人ギャグということか。そんなことを言いながらも、スイカを育てているところは意外性がある。

 

「ああ、かわいいだろ、オレの趣味さ。何かを作る、何かを育てるってのはいいぞ。いろんなことが見えるしわかってくる。楽しいこととかなぁ」と。

 

スイカを育てることで、気付きや癒しを得ているのだう。


シンジには「つらいこともでしょ」と言われてしまうが、

 

それに対して答えるのではなく、逆に質問で返している。

 

そりゃあシンジはツライことなんか大キライだ。でもシンジのいい方が「キライだ」とは言わずに「スキじゃないです」と言っている。

 

大人の加持に対する、シンジなりの答え方だ。

 

すべてあるがままに フォーカシング・ライフを生きる [ アン・ワイザー・コーネル ]

 

ありのままに受け入れるということは、価値判断をしないということ

 

加持の「楽しいことをみつけたかい?」の問いに対して、

 

シンジは「・・・・・」となる。

 

そんなシンジを、加持は否定も肯定もしない。

 

否定も肯定もしないということは、ありのままのシンジを認めている。

 

そして

「それもいいさ。けどツライことを知ってる人間の方がそれだけ優しくできる。それは弱さとは違うからな」と。

 

ツライことを知っている人間の方が優しくなれる、それは弱さとは違うと。

 

加持は、シンジのことをダメダメだとは思っていないし、弱いとも思っていない。

 

そしてさりげなく「葛城は好きかい?」と聞く。

 

シンジは「あっ・・・あっ・・・ミサトさん・・・いや・・あの・・ キライじゃないです」

 

ここでもキライと言わずに「キライじゃないです」と言っている。

 

これは加持に対して、シンジの気づかいだろう。

 

ミサトはシンジと一緒に住んでいるし、シンジのことを理解しyプともしている。ミサトのような人は、シンジの人生のなかではきっとはじめての理解者なんだろう。

 

加持はさらに

「葛城を守ってくれ、それはオレには出来ない。キミにしか出来ないことだ」
とシンジに頼む。

 

大人の男が、お子ちゃまのシンジに頼むんだから、加持の気持ちを想像すれば切ない。

 

まあ加持は乗りたくてもエヴァには乗れないわけだし、加持がミサトを守ろうと思ったら、シンジに頼むくらいしか他に方法はないだろう。

 

シンジに頼んでまでもミサトを守りたいんだろう。なんかロマンだ。

 

エヴァのなかで唯一大人のロマンだ。人生には、自分の力ではどうにもならないことがあるってこと、それはシンジも加持も同じだ。

 

加持がこの先どうなっていくのかは、この段階ではまだ不明だ。加持は旧作版では2重スパイだったが、それは真実が知りたいがため2重スパイという選択だったのではないかと思う。

 

ここでひとつ言えるのは、加持にしてもしてもミサトにしても、シンジに対してジャッジしていない。

 

ジャッジしていないというのは、自分の考えを押し付けたり、シンジに対して逃げることは良くないとか、エヴァに乗って戦うべきだとか、シンジに対して良い悪いの判断を下していないということ。


否定も肯定もせずに受け入れている。
ありのままのシンジを受け入れているってことだ。

 

簡単なようで、普通は自分の主観や考えが入ってしまい、そのまま受け入れるということはなかなかできない。

 

人をそのまま受け入れることが出来るのは、自分自身を受け入れているからに他ならない。

 

自分のことさえ受け入れられなければ、人を受け入れる余裕は生まれない。

 

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