エヴァンゲリオン TVシリーズ
第参話「鳴らない、電話」より
スイッチが入る瞬間
トウジとケンスケの目の前でエヴァは出撃する。
シンジ
「目標をセンターに入れてスイッチ、目標をセンターに入れてスイッチ」
ミサト
「作戦通り、いいわね シンジ君」
シンジ
「はい」
ミサト
「バカ!爆煙で敵が見えない」
目標をセンターに入れてスイッチ、と言って ただスイッチを押すことだけを考えていられればよかったけど 現実はそうもいかない。
使徒の一撃で ミサトの
「予備のライフルを出すわ、受けとって シンジ君!」
の声もシンジに届いているのかどうか・・・腕から体が震えて動けない。シンジの心が制御不能だ。
必死に逃げるが アンビリカルケーブルも切断してしまう。しかも足をとられて投げ出された場所にトウジとケンスケがいる。トウジとケンスケがいるために シンジは自由に動くことも出来ない。
ミサトはふたりを操縦席に入れるよう指示する。
ふたりがエントリープラグに入り 使徒の攻撃から一旦逃れることが出来ると
ミサト
「今よ!後退して!」
「回収ルートは34番、山の東側に後退して」
トウジ
「転校生、逃げろ言うてるで!」
誰の言葉も耳に入らないのか・・・
シンジ
「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」
トウジ
「転校生!!!」
その言葉もスルーして プログレッシブナイフを手に取る。
ミサト
「シンジ君!命令を聞きなさい!退却よ!!」
この時のシンジの目は何かのスイッチが入ったかのようだ。
ウワ~ァ!の叫び声とともに使徒に向かっていく。
見ているミサトは「あのバカ!」とつぶやく。
このときのシンジは 使徒の攻撃を受けながらも ひるむことはない。そんなシンジを見ているトウジとケンスケは 何も言えずに固まるしかない。使徒が沈黙した後も泣いているシンジを見て かける言葉もみつからない。
戦いのあとシンジは学校を3日も休んでることを トウジは心配でたまらない。トウジは不器用なんだね。
次回 第四話「雨。逃げ出した後」
自分の心を克服できずミサトからも逃げ出すシンジ。だが組織は少年をあっさりと連れ戻す。そこに優しい言葉はなかった。(第四話の予告ナレーション)
自分の居場所も見出せず 状況に流されるままにエヴァに乗るシンジに 覚悟も何もない。感じることを放棄した心は「目標をセンターに入れてスイッチ」と言いながら 言われるままに出撃する。
実際に使徒を目の前にすれば 訓練と同じように スイッチを押すことだけ考えているわけにもいかない。
使徒の一撃でアンビリカルケーブルも切断してしまうし、投げ出された場所にはトウジとケンスケもいる。動きたくても自由に動くことも出来ない。普通に考えればこの時点でもうパニック状態だろう。
体中の震えが止まらないのは 心が限界を超えて身体反応に出てるってこと。こうなると人の声も耳には入らないのかもしれない。
何かに憑かれたように「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」とつぶやく。
人は限界を超えたとき 自分も他人も予想しないような行動に出たりすることがある。
シンジは ミサトやトウジの言葉も耳に入らず 叫び声とともに 使徒に向かっていく。このときシンジの目に映っているのは 倒すべき使徒だけなのかもしれない。1回スイッチが入ってしまえば 使徒に攻撃されてもひるむこともない。ゾーンに入っちゃったって感じだろう。
使徒を倒した後、涙が止まらないシンジ。
そこには理由も何もないんだろう。思考や考えの入る隙間はない。
心や感情が動くときに理屈はない。
なぜそうなってしまったのかというのは 後から振り返って分かることで、心が動いてしまう瞬間はただ動いてしまうんだ。
後になって心を辿っていけば 元々の原因にたどり着くこと可能だが、心は複雑だから、原因がひとつとは限らないし いろいろな要因が重なり合っていることの方が多い。
シンジの場合は 自分がここにいてもいいんだ、という場所を求めている。自分がいていい場所というのは 自分が生きていていい場所だ。
自分が生きていていい、というのは認められているってこと。誰からも認められないと 自分は必要のない人間なんじゃないかと思ってしまう。シンジは 自分が生きている意味がどこにも見出せないでいる。
自分自身で自分を認めない限り 他のの誰かに自分を認めてもらえないと 自分の存在価値がどこにもないってことになる。存在価値がどこにもなければ生きている意味も分からない。
自分が必要のない人間だと思ってしまえば行き場がない。行き場がなくてもいいや、とは簡単にはあきらめられないだろう。
行き場がなくて心は苦しいし どうにかしたいと思ってしまう。どこにも行けない心は 渦巻いていっぱいになって 許容量っを超えればどこかでスイッチが入る。シンジはこんな感じなんだろう。
現実レベルでも 怒りのスイッチが入るはわかりやすい
シンジの場合は極限状態だけど 普通の生活でもスイッチが入ることはある。一番分かりやすいのは怒りのスイッチかな。
普段の生活の中では理性が働いているから すぐにブチッと スイッチが入ることは少ないだろうけど、自分の正直な心の動きに気付いている人は 自分がイライラしていることを認識できたりする。
思考優位で 自分の正直な心の動きに気付けないと 本人には怒っている自覚がなくても 他人から見ると機嫌が悪い様子が伺い知れる。
自分の正直な心の動きに気付いている人は
・なんだか今日はイライラしてるなぁ
・今日はあんなことがあったからイライラするなぁ
・体調のせいでイライラするのかなぁetc
と こんな風に自分自身でイライラしていることを認識できる。このとき そのイライラの原因を追究するよりも自分の心に寄り添う。
一方思考優位で自分の正直な心の動きに気付いていないと
・何かにつけてチッ!となる
・あの人のせいで、と人のせいにする
・私(僕)がこんなに頑張っているのに!etc
と、こんな感じに原因を外に見つけて ~だから仕方ないと納得しようとする。原因を外に見つけたとしても 頭で納得しようとしてるから心はついてこない。怒りは収まらないってことだ。
本当の怒りの原因は自分自身の心の中にあるってことは理解できない。この悪循環が続いて許容量がいっぱいになり もう心の中に溜め込むことが出来なくなると イライラは一気に噴き出す。俗に言う キレル、とか スイッチが入るってやつだ。
自分の怒りを認識していない人って意外に多い。
これはもちろん無意識に溜めている怒りだけど。
たとえば 結婚している夫婦がいて子どもがいるとしよう。
旦那は働き盛りで忙しい。奥さんは子育てのこととか 今日の出来事など旦那にいろいろ聞いて欲しい。しかし 旦那は忙しく 帰りは遅いし疲れていて 奥さんの話を聞くどころではない。
奥さんも彼は今忙しいんだから、と自分自身に言い聞かせ どこかで我慢する。そんな日常が何年も続いたら 何か事が起きたときに 今まで溜めてきたものが一気に噴き出したりする。些細なことから とんでもない夫婦喧嘩に発展しかねない。
または 旦那に話を聞いてもらえないイライラは 思い通りにならない子どもにあたる、という行動にでるかもしれない。子どもにあたる、という方法でしか怒りを出せないと 子どもにとってはいい迷惑だ。
子どもにあたった本人も あとから なんで子どもにあんなに怒ってしまったんだろう、と後悔したりするかもしれない。元々は旦那に話を聞いてもらえない、という不満が長い時間かけて怒りに変ってるんだけど、怒りが爆発した時点で そんなこと冷静に考えられない。
心で感じる気持ちと 頭で考える思考は違うけど その区別が分からなかったり、気持ちと思考がごちゃ混ぜになると 無意識に溜めてしまっている怒りも見えにくい。
・私は怒ってないから!
・僕はおこってませんよ!
と言う人で 明らかそれ怒ってるでしょ、という人をよく目にする。
言葉と腹の中は裏腹って見え見えだけど 本人は意外と気づいていない。
周りの人が怒っていることに気付いても 本人はあくまでも怒っていない!と言い張ったりする。自分自身の正直な気持ちを認識できないと こんなことにもなる。どんだけいい人やりたいんだろうと思うけど 本人はマジで怒っていないと思ってたりする。