別れたのはずなのに 加持に対する好きな気持ちは変わらないミサトの心の内

 

エヴァンゲリオン TVシリーズ

第八話「アスカ、来日」より

 

艦長との対面後

 

 

ミサトの揺れる女心

 

エレベーターの中で
ミサト 
「なんであんたがここにいるのよぉ?」

加持  
「彼女の随伴でね、ドイツから出張さ」

ミサト 
「はぁ~、うかつだったわぁ、充分考えられる事態だったのに」

女子  
「ちょっとぉ!触らないでよ!」
加持とトウジが同時に「仕方ないだろ」とハモる。

その後お茶を飲みながら 加持はテーブルの下でミサトの足をツンツンしながら

加持  
「今、付き合ってるヤツいるの?」

ミサト 
「それが あなたに関係あるわけ?」
ミサトのぶすっとさ加減が半端ない。

加持  
「あれ、つれないなぁ」
そしてシンジの方を向いて

加持  
「キミは 葛城と同居してるんだって?」

シンジ 
「えっ、えぇ」

加持  
「彼女の寝相の悪さ、直ってる?」
このときのみんなの驚きようったら面白い。
ミサトの顔は真っ赤だ。

ミサト 
「なっ!!!なに言ってるのよ!!!」

加持  
「相変わらずか、碇シンジ君」

シンジ 
「えぇ、・・あれ?どしてボクの名前を?」

加持  
「そりゃぁ知ってるさ、この世界じゃキミは有名だからね。なんの訓練もなしに エヴァを実践で動かしたサードチルドレン」

シンジ 
「いや、そんなぁ、偶然です」

加持  
「偶然も運命の一部さ。才能なんだよ、キミの」
この時のアスカの顔がスゴイ。
シンジに対してライバル心むき出しだ。

加持  
「じゃ、また後で」

シンジ 
「はい」

ミサト 
「冗談じゃない、悪夢よこれは」
ミサトは真っ青になってひとりつぶやく。

その後の甲板で加持とアスカは
加持  
「どうだ、碇シンジ君は?」

アスカ 
「つまんない子、あんなのが選ばれたサードチルドレンだなんて幻滅」

加持  
「しかし、いきなりの実戦で彼のシンクロ率は 40を軽く超えてるぞ」

アスカ 
「えっ!?」

 

一方エスカレータでは
トウジ 
「しっかし、いけすかん艦長やったなぁ」

ミサト 
「プライドの高い人なのよ、皮肉の一つも言いたくなるんでしょ」

シンジ 
「にぎやかで面白い人ですね、加持さん」

ミサト 
「昔からなのよ、あのばぁかぁっ」

このときアスカがやってきて
アスカ 
「サードチルドレン、ちょっと付き合って」
こう言いシンジを誘う。

 

ミサトもやっぱり女子だ。加持に会って焦りまくってる。まぁ、嫌いになって別れたわけじゃないし、ミサトにしてみれば 加持に自分の父親を重ねて どこかで父親を求めている、ってことに気付いちゃったわけで、結局はそれがキッカケだったわけだから。

 

これ以上加持と付き合っていたとしても、彼氏であっても そこに自身のトラウマになっている父親を求めてしまう自分がいるわけで、ミサト自身そんな自分の気持ちに 折り合いをつけることが出来なかったんだろう。

 

それでも付き合うっていう選択肢もあったろうけど、ミサトはそれを よしとしなかった。別れたはいけど 好きという気持ちに変わりはない。なんとも言えない女心ってことか・・・

 

だいだい人を好きになるってこと自体 愛し愛されたいって欲求があるからなんだろうけど、生物的に見れば子孫を残すというDNAが どの生物にも組み込まれている。


   
人以外の動物は いかに自分の子孫を残すかで より強いパートナーを求める。動物に より強い子孫を残す以外の 感情や気持ちがあるかどうかは定かじゃないけど、人には明らかに感情や気持ちというものがある。

 

嫌いな相手と付き合う気にはならないし、まして結婚なんてもっての他だろう。さして好きじゃなくても 地位や名誉や財産目当てに結婚する人もいるだろうけど、それはそれで本人が割り切ったうえでの選択になる。

 

ただその人の求めているものが違う、というだけのことだ。いつも言ってるけど どれがいいとか悪いとかではなく、ただその人は その選択をしたってだけのことになる。

自我と無意識 (レグルス文庫)

 

人は無意識に存在意義を求める

 

人はどこかで 存在意義を求めている。相手がいて愛し合うってことは 自分が愛されていると感じられるし、愛されること自体 そこに存在意義を感じられるのかもしれない。

 

存在意義自体は 別に特別のパートナーがいなくても感じることは出来る。例えば 社会的地位やステータスなんかでね。でも それだけでは物足りない人もいるだろう。

 

どこかで誰かと繋がっていたい、一人じゃないんだっていう確信が欲しいのかもしれない。別にパートナーがいようがいなかろうが 人は一人では生きてはいけないから 意識していようがいなかろうが どこかでは繋がっているんだろう。

 

でもやっぱり確信が欲しくなれば 人は人を求める。まあ、パートナーがいるってことは 誰の目から見ても一目瞭然だし、まして結婚という形態をとれば 社会的にも認められる。社会的に認められているだけでも 安心できるたりする。

 

でも 人が人を好きになる時って、他人からみたら思いもよらないような人を好きになったり、なんであの人があの子と?なんてこともある。これを【赤い糸】って言ったりもする。本当に【赤い糸】なんぞがあるのかどうかは知らないけど、惹かれるものは人それぞれだ。

 

とゆうことは 惹かれるってこと自体、自分の中の無意識が求めているものを 相手に見ている、って可能性が高い。ミサトが加持の中に父親を求めていたみたいにね。そりゃ純粋に そんなものなくても好きになることもあるだろうけど、そうじゃない場合も多いんだろうと思う。

 

普通は 無意識が求めているものに 気付くことさえないだろうから、ただただ相手のことを すきだ~とか 愛してるぅ~、と思うんだろう。まっ、人それぞれ自由だから どんな形もありということになる。

 

どちらにしても ミサトみたいなタイプは珍しいのかもしれない。ミサトは 加持に父親を求めていることに気付いて別れてしまったし それ以上加持に求めることはしていない。どう考えても 加持と父親は別人なのに 加持を好きだという気持ちは変わらない。

 

好きだからこそ 加持に自分の父親を重ねていることが 自分自身で許せなかったのかもしれない。やはり 揺れる女心ということなのかもしれない。

 

一般的に 付き合っていたり結婚したりしていれば パートナーに求めたりすることが多くなるんじゃないかと思う。あなたのことが大好き~、愛してるぅ~、だからあなたの為に 私はこんなにしてあげてるの~、とかね。

 

パートナーがいつも感謝の気持ちを伝えたりしていれば そのままうまく続いていくんだろうけど そうじゃないと 私がこれだけやってあでてるのにぃ、俺がどれだけやってやってると思ってんだ!あなたの為にやったのに、キミの為にやったのに あなたは何もしてくれない、キミは何もしてくれない、なんてことにもなりかねない。

 

これ、明らかに見返り求めてるんだけど 本人はなかなか気づくことが少ない。好きだからこそ、愛しているからこそ、って大義名分がついてしまうから、愛ってのは見返りが必要なものになってしまう。

 

パートナーとの関係は こんな感じになると思うけど 親子でも基本的には同じだ。ママはあなたの為にやっているのよ、パパはお前の為を思って言ってるんだぞ、とか言われたことがある人は多いと思う。子どもにとっては はぁ!アタシの為って何?オレの為って何さ?ってことになったりする。

 

まぁ、ある意味依存しているからこうなるんだけど ミサトと加持の場合 お互いに依存していない。お互いに好きだけど 依存し合っていないってこと。依存はしていなくても 心は揺れる。

量子力学が明らかにする存在、意志、生命の意味