エヴァンゲリオン TVシリーズ
第拾六話「 死に至る病、そして」より
EPISODE16:Splitting of the Breast
加持に憧れを感じているアスカにとって 加持とミサトがよりを戻すのは面白くない。
アスカ、イライラが止まらない
ミサト
「あれ?シンちゃん、おだし変わった?」
シンジ
「ええ、カツオだし。リツコさんのお土産」
アスカ
「きゃぁ~ぁ!あっつぅ~いぃ!」
シンジ
「ごめん…」
アスカ
「ううっ!そうやってすぐ謝って!ほんとに悪いと思ってんの?」
シンジ
「うん…」
アスカ
「シンジってなんだか条件反射的に謝ってるように見えんのよね~。人に叱られないようにさ!」
シンジ
「ごめん」
アスカ
「ほらぁ!内罰的過ぎるのよ、根本的に!」
ミサト
「まぁまぁ、それもシンちゃんの生き方なんだから」
アスカ
「彼の生き方を容認するなんて、甘い!最近ミサト、シンジに甘すぎるんじゃない?」
ミサト
「そぉ?」
アスカ
「加持さんとよりが戻ったからって、他人に幸せ押し付けないでよね」
ミサト
「加持なんかとは何でもないわよ」
この時 加持からの留守番電話がはいる。
加持
「よぉ、葛城。酒の旨い店見つけたんだ。今晩どう?じゃ。」
アスカ
「どーせ私は不潔な大人の付き合いなんて、した事ないわよ。何さ、保護者ぶったりしてさ。偽善的!反吐が出るわ!」
年上の加持には 父親としての憧れも感じているであろうアスカにとって 加持とミサトの付き合いは大人の付き合いに見えるだろうし、そこに自分の入る余地はないことも敏感に感じているだろう。
自分は女性としてみてもらえない、これは受け入れてもらえないと感じてしまってもおかしくない。加持自身がそんなこと思っていなくても アスカ自身が感じてしまうことはどうしようもない。
4不安 (これからの対人援助を考える くらしの中の心理臨床 4) [ 野村俊明 ]
アスカの中で蓄積されていく不安
シンジに対しても ミサトがシンジを容認しているようにしか見えない。ミサト自身はシンジに対して 否定や肯定をしているのではなく、ただありのままを受け入れていると思うのだが。
もちろんアスカに対しても 否定や肯定はせず ありのままを受け入れているだけだと思うが、アスカにとってはそう見えない。頑張っている自分より シンジはミサトに受け入れられているように見える。
加持とミサトのよりが戻ることで 自分が加持に受け入れてもらえなくなる。しかもシンジは受け入れてもらえている。頑張っているアスカにとって不安はつのっていく。
不安になるからイライラする。イライラするから人にもあたりたくなる。
「ママ、あたしを見て!」と言っていた子供アスカは 満足できないまま今のアスカの中にもインナーチャイルドとしている。
14歳のアスカは気づいていなくても、子どものアスカの不安はつのる。誰もあたしを見てくれないのは 恐れでしかない。
子どものころに満足できなかった体験は それが癒されない限り 大人になっても無意識下に残り続ける。子どもは純粋に求め続ける。
14歳のアスカは頑張るしかないが、頑張ってもうまくいかなくなったとき 焦りと不安は大きくなっていく。
アスカがそんな自分に気づくのは まだ先のことになる。