ミサトとリツコの視点の違いが価値観の違いだというのがわかりやすい

 

エヴァンゲリヲン新劇場版:破より

 

レイがシンジからお弁当をもらって、レイ自身信でさえ信じられない言葉「ありがとう」と言ってから、食事会を思いつきゲンドウをを誘う

 

さらに料理の練習までし始める

そんなレイの変化に驚いている、ミサトとリツコの会話

 

 

物事の意味は、見るものの視点によって違うものになる

 

ミサト  
「変わったわね レイ」

リツコ  
「そうね、あの子が人の為に何かをするなんて 考えられない行為ね。何が原因かしら」

ミサト  
「愛、じゃないのぉ」

リツコ  
「まさかっ、ありえないわ」

 

ミサトは、レイが変わったのは
「愛、じゃないのぉ」と言ってる

 

ミサトから見ると愛に見える
リツコは、レイが人の為に何かをするなんて考えられない
「何が原因かしら」と言ってる


そしてミサトが
「愛、じゃないのぉ」と言うのに対して

 

「まさかっ、ありえないわ」と信じられないように言ってる

 

リツコにとっては、レイがそんな感情を抱くこ自体ありえないと思ってる

 

事実自体には意味はない

 

レイがシンジからお弁当をもらってその後、食事会の計画をして料理の練習を始めた、事実はただそれだけで、レイの行動が今までとは違うだけだ

 

だけどミサトとリツコで、レイの見方が全然違う

 

これはどっちが良いとか悪いとかではなく、人によって感じ方や捉え方がこんなにも違うということ

ただそれだけだ

 

ミサトはミサトの目を通して、レイを見ているのであり、リツコもリツコの目を通してレイを見ている

 

それは個々の価値観を通して見ていることになる

加持から見たら、また違って見えるんだろうし、青葉や日向やマヤちゃんから見ても、違ってみえるだろう

 

綾波レイを見ていると、それが愛かどうかはわからない
レイ自身もなぜなのかわかっていないだろう

 

レイがただシンジの為にやっているとは思えないし、レイがあなたのためにやっているのよ、なんて思っていることはない


レイはただ、シンジに喜んでほしかった、シンプルにシンジの笑顔が見たかった

 

結果的にシンジの為、ってことになるのかもしれないけど、レイは自分のために、そうせずにいられなかったんだ

レイはそのことにより、誰にも見返りを求めていない

 

これは、レイの心の感情が動いているから

心が動くときは理屈じゃないし、まして人の為なんて思わない


「人の為」と書いて【偽り】いつわりと読む。

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

 

「自分のため」に何かするか「人の為」なにかするかは、そこに見返りを求めているかどうかでわかる

 

大人になると、純粋に心のままに従うことが難しくなる


親が子どもに よく言うこと
(これはあくまでも例として言ってる全ての親がそうだと言っているわけではない)


「勉強しなさい! あなたの為に言ってるのよ」
これ、本当に子どもの為?

 

確かに勉強は出来た方が、役に立つことは多いだろう
でも本当は、親が子どもに勉強出来るようになってほしい、って思ってることはないかな?


「あなたの為」じゃなくて
「自分の為」かもしれない


だったら正直に
「ママはあなたに勉強が出来るようになってほしいから、勉強してね」
と言われた方が ストレートでわかりやすい

 

こう言われれば、子どももストレートに
「ママは勉強ができるようになってほしいんだな」と思うだろう

 

あなたの為って言われても、何が本当に子どもの為になるのかはわからない

 

勉強しなさい、って一回も言われたことがなければ、子どもは逆にあせって勉強するかもしれない

 

なにがいいかなんて、人によって違うし分からない

 

「人の為」
という言葉は、簡単に自分自身を誤魔化す魔法の言葉だ


「自分のため」
にするときは、そこに見返りを求めることはない

 

えてして
「人のため」
にすることには、見返りを求めがちになる

 

人はみんな違う、違うからおもしろいし、いろんな見方、考え方があり、そこに正しい答えなどない

 

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