リツコが珍しく青筋をたててピクピクするのは!? やはり存在意義だった!

 

エヴァンゲリオン TVシリーズ

第七話「人の造りしもの」より

 
迫りくる使徒に対し 民間の開発した使途が 制御不能に陥る。
日本重化学工業の実演会に ネルフからは リツコとミサトの2人で出席する。

 

 

正しさの証明でパワーゲームもヒートアップするが 本当は存在意義が揺らいでしまう恐怖もある

 

ここで 司会者が 何か質問はありませんか?と 尋ねるんだけど、リツコが すかさず手を上げて質問する。

司会者 
「これは ご高名な赤城リツコ博士、お越しいただいて 光栄のかぎりです」

リツコ 
「質問を よろしいでしょうか」

司会者 
「ええ、ご遠慮なくどうぞ」

なんだかんだと問答があって 言われてしまう。

司会者 
「人のココロなどというあいまいなものに頼っているから ネルフは先のような暴走を許すんですよ」

ネルフの極秘情報 ダダ漏れですね。
これ言われちゃうと リツコはますますヒートアップする。

ミサトに 
「やめなさいよ、大人気ない。」といわれても、もう止まらない」
自分の正しさを証明しようと 必死になる。

司会者 
「制御不能に陥り暴走を許す 危険極まりない兵器より安全だと思いますがね。制御できない兵器など 全くのナンセンスです。ヒステリーを起こした女性と同じですよ。手に負えません」

ここで 会場から アハハハハハ・・・・・と 笑われる。
でも リツコは まだ頑張ってしまう。

リツコ 
「そのための パイロットとテクノロジーです」

司会者 
「まさか、科学と人の心が あのバケモノを抑えるとでも・・・本気ですか?」

リツコ 
「もちろんですわ」

司会者 
「よかったですねぇ。ネルフが長期的に保護されていて あなたがたはその責任をとらずにすむ」

リツコ 
「なんとおっしゃられようと ネルフの主力兵器以外 あの敵生態は倒せません」

司会者 
「ATフィールドですか?それも今では時間の問題にすぎません。いつまでも ネルフの時代ではありませんよ」

ここでまた 会場から アハハハハハ・・・・・と 笑われてしまう。
リツコは 青筋たてて ピクピクしてしまう。

 

ロッカールームに戻り
ミサトは 怒りをロッカーにぶつけて ロッカーをボコボコにして

ミサト
「どうせうちの利権にあぶれた連中の腹いせでしょ!腹立つわねぇ~」
と言いながら 怒りは収まらずロッカーをけり続ける。

リツコ
「およしなさいよ、大人げない。自分を自慢し褒めてもらいたがってる、大した男じゃないわ」

この時のリツコは持っていた冊子に火をつけて それが燃えるのを見ながら
リツコ
「大した男じゃないわ」という。
その顔がなんとも怖い。

ロボットは制御不能に陥りミサトがなんとか食い止めるけどまあ、仕組まれていたってことだろう。

 

次回 第八話「アスカ、来日」
ドイツのビルヘルグスハーゲンを出港し 一路日本へと向かうエヴァ弐号機とそのパイロット、突然の使徒襲来は起動した弐号機に初の水中戦闘を強いる。(第八話の予告ナレーション)

我々はどこから来たか?我々は何者?我々はどこに向かうのか?我々の存在意義は?―現代人類学の人間観―

 

冷静に見えるリツコも 存在意義を求めていた!

 

リツコが珍しくヒートアップしている。なんで ヒートアップしちゃうのかと思うかもしれないけど、これ お互いに ”自分が正しい”ってこと 証明しようとしてるからだ。

 

”自分が正しい”って 証明しようとすればするほど 激しいパワーゲームになっていく。これ お互いに すごーく疲れる。


この場合科学に関することだから 必然的にと正解があるだろうから 余計にヒートアップしちゃうのかもしれないけど、お互いに不正解ってこともありえるわけだ。

 

普通に生活している中でも パワーゲームはよくある。何かに対して 自分が正しいと思っているのに、他の人にそれは間違っている、と言われたら、自分が正しいってことを 説明したくなってしまう。

 

他の人に間違ってると言われると 否定されたように感じてしまうから、自分が正しいと証明することで なんとか自分を保とうとする。

 

パワーゲームが始まると、自分は正しい あなたが間違ってる、とお互いにやりあうことになる。意見を言い合っているだけなら なんてことはないけど、これがヒートアップしてくれば 口論は激しくなるだろうし、もっとヒートアップして 理性で制御できなくなれば、喧嘩になるかもしれない。それだけ正しさの証明は 人にとって大事なのかもしれない。

 

社会の中で利権が絡んでくればなおさらで 国と国との関係でヒートアップすれば 戦争にまで発展する可能性もゼロではない。


誰しも損はしたくないし、ましてや企業や国単位になれば、なんとか自分たちが有利になるように働きかけるのは 当然のことかもしれない。

 

お互いにお互いの意見を尊重して、ボクはこう思ってるんだけど、キミはそう思ってるんだね。と、自分の意見と違う時に 相手の意見を聞いて、分かり合おうとすればバトルはおきない。

 

これは お互いの意見を変えるのではなく お互いに違う意見でいい、というスタンスだ。それぞれが 尊重しあい どちらも傷つくことはない。


会社とかで ベクトルを合わせなきゃいけないときなどは また別だと思うけど、どのみち話し合いで お互いにすり合わせて妥協点を見つけることが大事だ。

 

そもそも ”正しい”ということ自体 個人の主観にによって違うだろうし、文化や宗教によっても違うだろう。時代によってもどんどん変わっていく。


日本に住んで生活していて それが普通のことで正しいと思っていても 海外に行けば とんでもなく非常識なことだってあるだろう。

 

自分自身にとっては どうか、ってことの方が事で、本当に正しいものなんて 誰にも解りはしないのかもしれない。


でもそれを 相手に押し付けようとすると うまくいかないことの方が多いだろう。人によっては そうなんだと納得してくれて あなたが正しい、と言ってくれるかもしれないけが、やはりまれだろう。

 

リツコは ロッカールームで少し冷静になってから
「自分を自慢し 褒めてもらいたがってる、たいした男じゃないわね。」と 言ってる。


相手を分析してる。相手を分析して たいしたことないと思うことで、自分を納得させている。たいしたことないと思わなきゃ気も納まらないんだろう。

 

一方ミサトは分かりやすい。怒りをロッカーにぶつけて ロッカーをボコボコにしてる。怒りをただ感じるのと 表現するのは別だけどミサトは気持ちいいほどに表現している。


リツコは「およしなさいよ、大人げない」と言っているから、ミサトのように感情を外に出すのはお子ちゃまだと思ってるんだろう。

 

人というのは おもしろい。
自分の証明がほしいんだ。 自分の存在意義を求める。自分の証明を他人に求める。 自分の存在意義を他人に認めてもらおうとする。


自分の存在意義を 他人に認めてもらおうとするのは 疲れる。たくさん頑張って努力しないと 他人にはなかなか認めてもらえないから。

 

他人に求めずに 自分自身に求めるのが 一番の近道だと思うけど、それが難しいってことだろう。


一番の理想は 自分自身が好きなことをやって、結果、人にも認めてもらえたら最高なんだけど、きっとそんな考え方は 他人からは ワガママに見えるのかもしれない。だって本当に好きなことなら 努力しようとか、頑張らなきゃ、とか考えないで出来るから。

 

自分は自分でОK ありのままでいいんだ、と 認められれば楽になるんだけど。まぁ それが一番難しいことかもしれない。

痛みの存在意義‐臨床哲学と理学療法学の視座‐