ミサトの思いはシンジに伝わらず 気持ちはすれ違う



エヴァンゲリオン TVシリーズ

第四話「雨、逃げ出した後」より

 

ネルフに連れ戻されたシンジ

 

 

歯がゆい思い

 

ミサト 
「しばらくね」

シンジ 
「はい」

ミサト 
「この2日間ほっつき歩いて気が晴れたかしら」

シンジ 
「別に」

ミサト 
「エヴァのスタンバイできてるわ、乗る?乗らないの?」

シンジ 
「叱らないんですね、家出のこと・・・・当然ですよね、ミサトさんは他人なんだから。もし僕が乗らないって言ったら初号機はどうするんですか」

ミサト 
「レイが乗るでしょうね。乗らないの?

シンジ 
「そんなことできるわけないじゃないですか。彼女に全部押し付けるなんて。大丈夫ですよ 乗りますよ」

ミサト 
「乗りたくないの?」

シンジ 
「そりゃあそうでしょ、第一僕には向いてませんよ、そうゆうの。だけど 綾波やミサトさんやリツコさん・・」

ミサト 
「いいかげんにしなさいよ!人のことなんか関係ないでしょ!イヤならここから出て行きなさい!エヴァや私たちのことは全部忘れて 元の生活に戻りなさい!あんたみたいな気持ちで乗られるのは迷惑なのよ」

そう言ってミサトは出ていってしまう。

ゲンドウとリツコは

リツコ 
「サードチルドレンは明日第3新東京を離れます」

ゲンドウ
「では 初号機のデーターはレイに書き換えろ」

リツコ 
「しかし・・・」

ゲンドウ
「零号機の再起動実験のいかんによらず 初号機の実験に移る」

ゲンドウ
「マルドゥック機関の報告によると フォースチルドレンはまだ見つかっていない」

リツコ 
「パイロットの補充はきかないということですか」

 

シンジは当然連れ戻されてしまう。
ミサトに「エヴァのスタンバイできてるわ、乗る?乗らないの?」と言われ
「叱らないんですね、家出のこと・・・当然ですよね、ミサトさんは他人なんだから」と答えるシンジ。なぜ ミサトはシンジを叱らなかったか。

 

ミサトにしてみれば 14歳の少年にエヴァに乗ることを  強制なんて出来ないだろうし、シンジの心の葛藤を想像すれば 叱ることさえ躊躇して当然だろう。ミサト自信シンジに対して どう接したらいいか明確な答えもなかったんだろう。

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ミサトに怒られなかったシンジは やはり自分はいらないんだと再確認してしまう

 

一方シンジにしてみれば 叱られなかったことで、自分はそんなに心配もされていないし どうせいらない人間なんだ、ということを 再確認してしまった感じになってしまう。認めてもらいたくて エヴァに乗っているシンジにとっては、無意識の承認欲求も打ち砕かれる。

 

シンジはまだ14歳だし ミサトの心情まで想像する心のゆとりもない。シンジ自身が自分のことで精一杯だ。シンジは本当は叱ってほしかったのかもしれない。


叱ってもらえるというのは 自分が心配されているということだから。心配されていると思えれば 自分は必要とされているという思いに繋がる。

 

これ、子どもが家出したら たいていの親は 相当激しく叱る。
「なんであんたは家出なんかするの? パパやママが どれだけ心配したと思ってるの?みんな心配して あんたのこと探し回ったのよ!」とかなんとか さんざん怒られるだろう。

 

家族だと遠慮がないから出来るのかもしれない。ミサトの場合 一緒に住んでいるとはいえ 日も浅いしお互いにまだ遠慮もある。しかもシンジは碇指令の息子だ。

 

ミサトはシンジを叱らなかったけど シンジの気持ちを理解しようとしている。シンジがエヴァに乗ることで苦しいなら シンジのためにはエヴァになんか乗らないほうがいいとさえ思っている。シンジの気持ちを思いやっている。

 

普通の家庭で子どもが家出したら 親は叱るだろうけど、子どもの気持ちを思いやることはあるだろうか・・・。なぜ家出をしたのかと 子どもの気持ちを思いやる親は少ないかもしれない。子どもが家出したことで 親自身が心配した気持ちに焦点当てちゃう方が多いだろうし、子どもの気持ちは後回しになることが多い。

 

遠まわしでも 子どもの子持ちを気遣える親だったらいいが、たいていは 子どもの気持ちを思いやるゆとりもなく 叱ってしまうことが多いんだろうと思う。

 

そしてミサトは シンジに問いかける。
「乗りたくないの?」と。
それに対してシンジは
「そりゃあそうでしょ、第一僕には向いてませんよ、そうゆうの。だけど 綾波やミサトさんやリツコさん・・」

 

シンジにしてみればエヴァに乗るのは怖い。自分には向いていない、綾波やミサトさんやリツコさん・・・と言い訳を言いたくなる。だってシンジがエヴァに乗るのは 本当は認めてほしいという承認欲求ががあるからだ。

「どうせ自分なんか」から「こんな自分でも」へ―小さな町の小さなお寺のお坊さんが伝えたい、大切なこころ

 

自分が本当はどうしたいか わかっている人は少ない

 

でもミサトに言われてしまう。
「いいかげんにしなさいよ!人のことなんか関係ないでしょ!イヤならここから出て行きなさい!エヴァや私たちのことは全部忘れて元の生活に戻りなさい!あんたみたいな気持ちで乗られるのは迷惑なのよ」と。

 

他人のことではない、自分自身はどうなのか?と。
人に必要とされているから 人に受け入れてもらいたいから、そんなことはどうでもいいと。自分自身の気持ちはどうなのか?と。

 

シンジ自身の心は 何も納得していないんだから 言い訳しか言えないってのもあるだろう。本当は 父親のゲンドウに認めてもらいたいんだけど それが叶わなければ他の人に求める。誰かに認めてもらえなければ 自分は必要のない人間だと感じてしまう。

 

感じてしまうものを何とか理屈で片付けようとしても 心が感じていることに理屈なんて通用しない。シンジにとっては お前が必要だ、エヴァに乗ってくれ、と言われた方が楽なのかもしれない。言われたからエヴァに乗ったのなら 何があっても 言われたから乗っただけ、という言い訳がきく。

 

でも ゲンドウもミサトもリツコも誰も強制することはない。ミサトに 自分自身はどうなのか? と言われてしまえば何も言えなくなってしまう。


エヴァに乗る恐怖よりも 人に認めてもらいたい気持ちの方が大きかったからエヴァに乗ったのに、ミサトに 自分自身の気持ちはどうなのか?と 突きつけられてしまう。

 

シンジ自身 エヴァに乗る恐怖よりも 人に認めてもらいたい気持ちの方が大きかった、という自分自身の気持ちさえ 意識では認識してはいないだろう。心はどこも納得出来ないままで 自分の気持ちを受け入れることさえ出来ないだろう。

 

そんなシンジに
「いいかげんにしなさいよ!人のことなんか関係ないでしょ!イヤならここから出て行きなさい!エヴァや私たちのことは全部忘れて元の生活に戻りなさい!あんたみたいな気持ちで乗られるのは迷惑なのよ」
とミサトにここまで言われてしまえば シンジは正直にネルフを出て行くことしか考えられないだろう。


 
この時のシンジの正直な気持というのは エヴァに乗ることの恐怖だ。怖いから逃げる。人に認めてもらいたい気持ちは変わらないけど ミサトにここまで突っ込まれたら選択肢は逃げることしかないだろう。ミサトに対して 言い訳は効かなかった。

 

心がどこへも行けなくて いっぱいいっぱいのときは 逃げることが必要な事だってある。逃げてみなければ分からないこともあるし、逃げてみて初めて気付けることもある。

 

心は理屈では片付けられない。もし理屈で片付けることが出来るのなら それは心ではなく思考かもしれない。

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