生きるのが不器用なのはシンジだけじゃなかった、リツコも!?

 

エヴァンゲリオン TVシリーズ

第伍話「レイ、心のむこうに」より

 

使徒の解析について リツコ、ミサト、シンジの3人のシーン。
この時シンジたちの横をゲンドウが通っていく。
シンジは気になり ゲンドウを目で追う。

 

 

不器用なのは? みんなそう?

 

ミサト 
「どしたの?」

シンジ 
「い、いえ、別に」

ミサト 
「あのねぇ、そうゆう顔で別にって言われてもねぇ、気にかけてください、心配してくださいって言われてるようなもんなんですけどねぇ」

シンジ 
「あのう、父さんが手にやけどしてるみたいなんだけど」

ミサト 
「やけど?」

シンジ 
「どうしたのかなぁ、って思って」
ミサトがリツコに 知ってる?って聞く。

そしてシンジは 次の零号機起動実験のときに綾波とゲンドウが 親しそうに話している姿を見てしまう。

 

このシーンは エヴァンゲリヲン新劇場版:序 

 

ミサトの部屋で ミサトが作ったまずいカレーを食べるシーン

リツコ 
「シンジ君、頼みがあるの」

シンジ 
「なんですか?」

リツコ 
「綾波レイの更新カード、渡しそびれたままになってて、悪いんだけど、本部に行く前に 彼女のところに届けてもらえないかしら」

シンジ 
「ハイ」

このときシンジは綾間にのカードを見つめている。そりゃ自分の父親と自分よりも近くにいるレイにいろいろな思いもあるだろう。それを見ていたミサトは シンジをからかいたくなる。

ミサト 
「どうしちゃったの?レイの写真をじーっと見ちゃったりして」

シンジ 
「あ、あ、いや・・・」

ミサト 
「ひょっとして シンちゃん」

シンジ 
「ち、違うよ」

ミサト 
「まったまた、照れちゃったりしてさ。レイのうちに行く オフィシャルな口実ができて チャンスじゃない」

シンジ 
「からかわないでよ、もう」

ミサト 
「すぐムキになって からかいがいのあるヤツ」

リツコ 
「ミサトと同じね」

ミサト 
「まぁ・・・」

シンジ 
「ボクはただ、同じエヴァのパイロットなのに 綾波のことよく分からなくて」

リツコ 
「いい子よ、とても。あなたのお父さんに似て とても不器用だけど」

シンジ 
「不器用って、何がですか?」

リツコ 
「生きることが」

シンジがレイに更新カードを届けに行くシーンと その後のネルフでのエレベーターでのビンタシーンは(TVシリーズと映画ではセリフはちょっと違う)


エヴァンゲルヲン新劇場版:序 

やさしくて、ちょっぴり不器用なあなたに。 (Sanctuary books)

 

そして使徒RAMIELがやってくる。

ミサト 
「発信」

青葉  
「目標内部に高エネルギー反応」

ミサト 
「なんですって!」

青葉  
「円周ぼう加速、収束していきます」

リツコ 
「まさかっ」

ミサト 
「ダメ!よけて!」

シンジが ん?て思った瞬間にはやられてしまう。

 

カレーを食べながらの3人の会話で
「同じエヴァのパイロットなのに 綾波のことよく分からなくて」と言うシンジに対して、リツコは「いい子よ、とても。あなたのお父さんに似て とても不器用だけど」と答える。

 

リツコの言う 不器用の意味が分からないシンジは「不器用って、何がですか?」と質問すると「生きることが」とリツコは答える。

 

生きることが不器用というのは 一般的には要領が悪かったり、コミュニケーションをとるのが苦手だったりすることを言うのかもしれないけど これも定義は人によってそれぞれだろう。見方を変えれば個性的ともいえる。

 

リツコは ゲンドウとレイのことを「生きることに不器用」という表現をしているけど、ゲンドウやレイが 実際に生きることに不器用だと感じているかどうかはまた別だ。

 

あくまでもリツコから見てリツコが感じていることだから。リツコはそれだけゲンドウのことを知っているってことだろう。

 

第参話「鳴らない、電話」ヤマアラシのジレンマで リツコがいろいろ語っていることからリツコ自身ゲンドウとの距離をはかりかねていたのかもしれない。


エヴァンゲルヲン新劇場版:序

 

ヤマアラシのジレンマ

 

リツコはヤマアラシのジレンマで
「大人になるってことは 近づいたり離れたりをくり返して お互いがあまり傷付かずに済む距離を見つけ出す、ってことに」と言っている。

 

これは自分とゲンドウの関係ともだぶっているのかもしれない。リツコ自身が親密になりたくても傷ついてしまうことが分かるから、なんとか傷つかずに済む距離を保っている、ととらえることもできる。そんな自分自身にも 生きることが不器用だと感じていたのかもしれない。

 

リツコはミサトにも心を全て開いているわけではない。人は人に分かってもらえたり 共感してもらえたりすることで 安心を得られたりするけど、心を閉じている部分は 他の人には分からないから、共感のしようもない。

 

それをゲンドウに求めたところで ゲンドウに分かってもらえるとは思えないし、リツコ自身それをよく分かっているだろう。そんな風に生きる自分自身も 不器用だと感じているのかもしれない。

 

人は意識では認識していなくても 心はどこかで繋がっていたいという思いがある。だから無意識に求める。無意識が求めても 意識で気付いていなければ うまくいかないこともあるだろうし、生きづらさを感じるのも不思議ではない。

 

人の心は複雑だ。思考する意識と感じる心があるから、致し方ないが 心が傷つきたくなければ 意識で思考し理屈で納得することもできる。

「まじめ」で「不器用」な自分を誇りなさい