シンジの心が動くとき理屈では計り知れない

 

エヴァンゲリヲン新劇場版:序より

 

父親に呼ばれてネルフに来ただけなのにシンジにしてみれば、何で自分がこんな状況になってるのか、わけも分からないままだ。それにしてもゲンドウは動じることがない。シンジがエヴァに乗らないと思えば、すかさず冬月先生に声をかける。

 

 

頭で考えて出来ないことでも、理屈を超えたところで決断できる場合がある

 

ゲンドウ 
「冬月、レイを起こしてくれ」

冬月   
「使えるかね?」

ゲンドウ 
「死んでいるわけではない」

冬月   
「分かった」
冬月先生も 淡々としてるよね。

ゲンドウ 
「レイ」

レイ   
「はい」

ゲンドウ 
「予備が使えなくなった、もう一度だ」

レイ   
「はい」

リツコ  
「初号機のコアユニットをL00タイプに切り替えて再起動」

マヤ   
「了解、現作業中断、再起動に入ります」
シンジはそこにいないかのように どんどん準備は進んでいく。

シンジ  
「やっぱりボクはいらない人間なんだ」

その時、怪我をしたレイが運ばれてくる。レイはいかにも苦しそうだ。使途の攻撃の衝撃でレイはベットから落ちてしまいシンジが駆け寄る。

シンジ  
「大丈夫ですか?」
レイを起こそうとしたときに レイの体から出血していることに気付いてしまう。

それを見てシンジはつぶやく、有名なセリフ。
シンジ  
「逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ!」

この瞬間にシンジの顔つきが変わる。
シンジ 
「やります!ボクが乗ります!」

シンジにしてみればわけも分からないまま、レイを助け起こそうとしたら血を見ちゃうんだから。使徒も攻めてきてるし、パニックになってもおかしくない状況だ。エヴァになんて乗りたくないし逃げ出したっておかしくない。そんな時瀕死のレイを見てしまう。

 

ケガをしているレイがエヴァに乗ろうとしてる。それを見たときシンジの心が動く。
「逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ!」
こうつぶやいているとき、シンジの頭の中ではケガをしているレイがエヴァに乗ろうとしてるのに、ボクは逃げるのか、とかケガをしているレイをエヴァに乗せることなんか出来ない、とかそんなことは考えていない。

 

レイを見た瞬間に心が動くんだ。そこに理屈はない。心が動くときは、ああした方がいいとか、こうした方がいいとか、そんな理屈はどこにもない。「逃げちゃ駄目だ」は心のつぶやきなんだ。

 

ケガをしているレイをエヴァに乗せるなんて出来ない、レイがかわいそうだ、こう思うのは心が動くことじゃない。これは頭で考えてることだ。

 

いかにも心で感じているように思うかもしれないけど、頭で考えて納得してるだけだ。これを感じていると思うかもしれないけど、感覚で感じているわけではないので思考だと捉える方がしっくりくる。

 

自分自身の感覚を否定しないで感じていれば、思わず動いてしまう、って経験をしてる人は多いと思う。なぜか分からないけど、あの時はなんであんなことしちゃったんだろう、みたいなことね。

 

心が動くとき理屈なんてものはないんだ。思考はジャッジを下すけど、感覚ははジャッジしない。ただ感じるだけだ。~だからこうした、~だからああした、っていうのは、感覚ではなく思考のなせるワザってことになる。

 

シンジは心が動いたから「やります!ボクが乗ります!」って思わず言ちゃたんだ。綾波が可愛そうだからとか、ケガをした綾波をエヴァに乗せるなんてとか、理屈で考えているわけではなく、心が動いたからとっさに出てきた言葉だ。


でも「やります!ボクが乗ります!」って行った瞬間に顔つきが変わる。何でだと思う?誰に強制されたわけでもなく エヴァに乗ることをシンジ自身が決めたからに他ならない。

 

考えて決めたわけじゃない。
心が突き動かされて決めてるんだ。
腹をくくったと言えばわかりやすいかもしれない。

 

心が動くというのは感覚だ。シンジはこの感覚にに素直に従ったということになる。

 

何かを決めるとき、何かを決断するとき、頭で考えて決めると後からああすればよかった、とかもっとこうしとけばよかったとか、不満や愚痴が出てきたりする。

 

それは、心が納得してないから。心が納得していれば 心はお腹いっぱいで、失敗しようが後悔はしない。あのときはそうしたかったんだからいいよね、って思えるんだ。

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理屈抜きで感覚で何かを決めたときは。後から後悔することは少ない

 

結婚で考えてみると


例えば、5年間付き合っていたカップルがいたとする。どちらの家からも公認されている。2人とも30歳を過ぎている。周りのみんなからもそろそろ結婚だね、と言われる。すると自分も、5年も付き合ってるんだからそろそろ結婚するかな、と思う。 
   ↑
これって頭で考えてる、ってことになる。5年も付き合ってるんだし、30も過ぎたことだし、結婚するのが普通だし、なんてことを頭でいろいろ考えるわけだ。面白いことに、頭で考えると納得したつもりになる。

 

さてここで、心はどうだろう。心とは感覚や感情のことだ。この人と人生を共にすることにワクワクするのか、ずっと一緒にいられると思ったときに嬉しいと感じるのか、頭でばかり考えていると本当の心は見逃されることが多い。

 

まあ結婚という形態は、社会通念的にも認められる居場所だから。自分の確固たる安心できる居場所がほしくて結婚する人もいるだろう。

 

結婚して何か問題があったとき、なんでこの人と結婚しちゃったんだろう、とかもっと別にいい人がいたかもしれないのに、と思ったりするかもしれない。

 

また、親やみんなに結婚した方がいいと言われたから結婚したのに、と人のせいにしたくなるかも。頭で考えて決めていると、こんなことが起こりやすい。


心や感覚で決めていれば、何かあっても後悔するより、あの時は結婚したかったんだもん、と納得できたりする。人のせいにすることはない。

 

人のせいにしたくなることがあったら、自分の感覚を注意深く観察すればなにかわかるかもしれない。

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