揺れるシンジ 期待とあきらめの狭間で

 

エヴァンゲリオン TVシリーズ

第壱話「使徒、襲来」より

 

時に、西暦2015年
シンジ「待ち合わせは無理か、しょうがないシェルターに行こう」

このとき一瞬道路にたっている綾波レイを見る。
そして第3の使徒サキエルを見る。

 

 

本当は 心のどこかで期待している

 

一方ネルフでは
冬月   
「15年ぶりだね」

ゲンドウ 
「ああ、間違いない 使徒だ」
このふたりの会話から始まる。

第壱話 使徒、襲来

使徒を見て驚いているシンジの前に 迎えに来たミサトの車が止まる。
いよいよネルフに向かいゲンドウと体面だ。そのころネルフでは

国連軍 
「今から本作戦の指揮権はキミに移った。お手並みをみせてもらおう」

ゲンドウ
「了解です」

国連軍 
「碇君 我々の所有兵器では目標に対して有効な手段がないことは認めよう。だが、キミなか勝てるのかね?」

ゲンドウ
「そのためのネルフです」

国連軍 
「期待しているよ」

目標はいまだ変化なし。現在 迎撃システム稼働率7.5%

冬月  
「国連軍もお手上げか。どうするつもりだ?」

ゲンドウ
「初号機を起動させる」

冬月  
「初号機を、か。パイロットがいないぞ」

ゲンドウ
「問題ない、もうひとりの予備が届く」

ネルフに向かう車の中で
シンジ 
「これから父のところへ行くんですか?」

ミサト 
「そうね、そうなるわね」

このときシンジは小さいとき ゲンドウに置いていかれて泣いている自分を思い出す。
そして 父さん・・・とつぶやく。

ミサト 
「あっそうだ、お父さんからIDもらってない?」

シンジ 
「あっ はい、どうぞ」

ミサト 
「ありがと、じゃあ これ読んどいてね」

シンジ 
「ネルフ・・・父さんの仕事・・・なんかするんですか?ボクも・・」

ミサト 
「・・・・・」

シンジ 
「そうですね、用もないのに 父がボクに手紙をくれるはずないですよね」

ミサト 
「そっか、苦手なのねおとうさんが。あたしと同じね」

シンジ 
「えっ」

シンジはジオフロントに驚き
シンジ 
「す、すごい!ほんとにジオフロントだ」

ミサト 
「そう、これがあたしたちの秘密基地ネルフ本部、世界再建の要、人類の砦となるところよ」

 

シンジはミサトとネルフに向かう車の中で 小さいころゲンドウに置いていかれて泣いている自分を思い出している。捨てられたと思っていたのに 父ゲンドウからの手紙でネルフへの呼び出しがかかる。父から手紙をもらったことで シンジの心の中ではいろいろな思いが交錯する。

 

本当は捨てられたなんて思いたくない。もしかしたら父さんは仕事が忙しくで仕方なかったのかもしれない、父さんは本当はボクを捨ててなんていなかったのかもしれない。だって手紙をくれたんだから。etcといろいろな思いが駆け巡る。だって子どもなら 親に捨てられたなんて思いたくないし、認めたくもない。

 

14歳の少年が親に捨てられたと思うのは耐えられないことだろう。自分の一番身近な親から捨てられたら、【自分はここにいていいんだ】なんて思えない。親にさえ認めてもらえないのに 他人に認めてもらえるわけがない、と思うのは仕方がないことだ。

 

誰だって自分はいらない人間だなんて思いたくないし、誰からも必要とされないんだって思ったら ここにいていいのかさえ分からなくなる。それは耐えられないことだ。意識はあきらめていると思っていても 無意識のどこかで必要とされることを求めるし、心はそれを渇望している。

 

シンジは父ゲンドウから手紙をもらったことで どこかで淡い期待があったんだろう。ひょっとして自分は父親に必要とされているんじゃないかってね。


ミサトに「ネルフ・・・父さんの仕事・・・なんかするんですか?ボクも・・」と聞いたものの 無言のミサトを見て「そうですね、用もないのに父がボクに手紙をくれるはずないですよね」と自分で自分を納得させるように言っている。

 

シンジは父親には捨てられたと思っているけど 母親には受け入れられている。一度でも自分以外の人から受け入れてもらった経験があると また受け入れてほしいと求める。受け入れてもらえれば安心できる。

 

小さい子どものころに受け入れてもらった経験は【自分はここにいていいんだ】という安心感を生む。自分以外というのはたとえそれが親や肉親でもだ。


ひとりで生きていくことが出来ない子どもにとっては安心できる場所は必要だ。子どもにとって一番安心できるのは そのままを受け入れてもらうことだから。

 

もしも、生まれてから一度も受け入れてもらった経験がなければ それはありのままを受け入れられなかったってことだ。ありのままというのは条件をつけないで受け入れてもらえたかどうかだ。

 

受け入れてもらえなければそりゃあ子どもは子どもなりに考えて受け入れてもらおうとする。母親や父親の顔色を伺うとかいろいろする。それでも受け入れてもらえない場合は どこかであきらめる。心がもたなくなってしまうから。

 

子どもは受け入れられないと 今いる場所が安全だと感じることが出来ない。不安や恐れを感じる。でも子どもだからね。それを意識で理解して言葉にすることなんか出来ない。

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癒されないインナーチャイルドの誕生

 

せっかく生まれてきたのに自分は必要ないように感じる。そんな心を感じ続けるのは心が耐えられなくなるから 心と体を解離させて記憶を飛ばす。

 

もちろんこれは意識してやってるわけではない。肉体が持っている生存本能が生きるためにそうさせる。生きるために心と体を解離させると 記憶が飛んで本人は辛くなくなる代わりに 辛い思いを引き受ける身代わりが必要になる。

 

心理療法でいうところのインナーチャイルドだ。最初に身代わりになった子が死ねばまた次の身代わりを登場させる。何十人何百人というチャイルドが身代わりになる。シンジの場合は母親に受け入れられているから ここまでじゃないと思うけど。

 

それにしてもゲンドウの言葉はスゴイ。冬月に対して「問題ない、もうひとりの予備が届く」と言っている。シンジはゲンドウのこの言葉を聞いているわけじゃないけど 期待とあきらめの狭間で揺れ動く。

 

もういいや、とも思い切れず ゲンドウに正面から対峙して求めることも出来ない。だって正面からゲンドウに求めて はっきり拒否されるのはイヤだし怖いし そんなことは出来ない。このシンジの心の揺れを ああそうだよね、と思える人は心の感情をよく分かってる。 

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